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たぶん本について


by m9sale

公園(/挑戦/プッサンを読む)

公園(/挑戦/プッサンを読む)_c0051373_213362.jpgフィリップ・ソレルス (集英社 世界の文学26 絶版)

『公園』(1963)、久しぶりにヌーヴォーロマン読んだ! いやあ、この手のやつはブランクがあると取っ付きにくいやね。どんな話かと聞かれても困っちゃうわけでして、当然のごとく筋はないしね。アラン・ロブ=グリエの『迷路の中で』(1959)がわりに近い感じかな。それとナタリー・サロートの『トロピスム』(1939)を読めてる人ならばこれも読めるでしょう。

こういういかにもヌーヴォーロマンな、筋と時間軸のまったく失われた作品を読むときは、その時読んでいるセンテンスだけを考えればオッケーです。通常のやり方、読むごとに背後の山へ積み上げることはまったく無意味。雨が降ってると言われれば、ああ、降ってるんですねとそれを想像すればいい。何ヶ月も雨など降ったことがないと言われれば、降ってないと想像すればいい。整合性とか考えたら馬鹿を見ます(油断しちゃいけないのは同じセンテンス内で相反することが語られる可能性があるということ、この辺はスキル、語り=騙りの認識が基本)。塗るはしから色が定着せずに消えてしまう水彩絵の具のようなもので、最終的に読了時ごく微かな跡の連続が何かの模様に見えたらそれでいいのがこのタイプの作品。

『プッサンを読む』(1967)は絵画論だった。これが書かれたのも『公園』に対する自己補完、読者の理解補助のためで(プッサンはしかし、中世のしっかりした絵を描いてるんだけどね、抽象画でなく、もちろん水彩でもなく)、しきりに繰り返されるのは《構造》という言葉だ。部分部分がそれぞれで生き、その連続と組み合わせ(矛盾・打消し、建て直し)という構造から作品を作っている、とプッサンを読み解きつつ、自作の読み方を教えているわけです。

『挑戦』(1957)は『公園』でヌーヴォーロマンに転向する以前の短編作品。普通に楽しめました。

『公園』の中身について何も書いてませんが、読んでみれば分かりますよ。書けることなんてありゃしないんですから。読んだ人の中に画が一枚残る、ただそれだけ。
by m9sale | 2005-02-15 02:13 | フランスの本 (10)